台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。シャンソン歌手「藤原素子」が綴る、日々の、普通の食卓のレシピ

貧すれど鈍せず

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今日もまた、一日が過ぎてゆく。陽が昇り、暮れてゆく。私が今日、やったことといえば、「目覚める」、「食べる」、「寝る」以上である。なんとも無為な一日のようだが、たいていの人は、この規則にしたがって生活しているのではなかろうか。だいたい、それ以外のことを人間が始めたのは、人類史上ではごく最近のこと。生命を維持するためには、この3点だけをこなしていけばいい。私は、食欲だけは人並み以上そなわっているようである。日々の「目覚め」を、今日は何を「食べ」ようか、という一念で成し遂げているといっても過言ではなかろう。満腹になれば「寝る」。この三点は、互いに連動している。良い食事を摂取すれば、良い眠りが得られるし、良い眠りの後は、目覚めも良いものだ。生命維持のためだけではつまらない。もっと楽しく食事を摂取したいものである。

もっとも、私は決してグルメではない。また、あちらこちらのレストランを食べ歩いたり、話題のラーメン屋の味を語ったりできようもない。なぜなら私は貧乏だからである。私は東京で暮らして13年。もうすぐ32歳になる独身貴族である。貧乏なワケは、そのうち明らかになるであろうが、ただ、私は綴ってみたいのだ。日々の、普通の食卓を。いくら貧乏でも、カップラーメンより自分で茹でたラーメンのほうがうまいのだということを。お金がなくても、不安にさいなまれても、おいしいものを食べれば、なんとかなるのだということを。

人生に必要なものは、創造力と、冒険心と、そう、「少しのお金」なのだから。

夜の樹のHPに、「貧すれど鈍ぜず」を掲載していただけることになった。思い直してみると、よくもこんなことを書き綴れる時間があったものだと思う。これを書き始めたのは4年ほど前だろう。あれからいろいろなことがあった。21世紀に突入し、同時多発テロがあり、首相は…何人替わったかは忘れてしまった。我が家の猫は大人になり、私は結婚し、離婚した。ほんの360日ほどの同居であったが、そんな事情で一年毎の引越しを余儀なくされたのである。孟母三遷とは程遠いが、我ながら不思議な変遷である。結婚期間中は、四六時中料理の献立を考えていた。仕事もバイトも続けていたので、深夜に帰宅する夫が電子レンジで温めてもおいしいメニューを作った。朝起きると、夫の夕飯と翌日のお弁当のことに頭をめぐらせた。そうこうするうちに、私の頭の中には、つねに三日後のメニューが出来上がるまでになったのだが、私は日に日に痩せていった。共働きでもあったし、食費に困るようなことはなかった。これを書いていたころよりも、はるかに豊かな食卓であった。私はやっと貧乏から脱出できたのだ。だがしかし、それと料理の楽しさと、一体どれほどの関係があるというのだ。台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。現在私はまた一人暮らしだ。体重はもとに戻りつつある。HP掲載をきっかけに、ヒマをみて続きを書いてみようと思う。今まで書き綴った内容は、古い情報も多く見られるが、あえてそのまま掲載することにする。

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