台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。シャンソン歌手「藤原素子」が綴る、日々の、普通の食卓のレシピ

貧すれど鈍せず

カレーのチーズ焼き

前回、私の実家の実情をあばいてしまった。

誤解が生じてはおもしろくないので釈明しておく。
私の両親は「炊きたてご飯」を、こよなく愛するものである。

しかも、カレー用のご飯は堅めに炊く、とのセオリーにしたがって、営業用のご飯は堅い。
ところが、両親はやわらかいご飯が好きなのだ。

「やわらかく、もっちりとして、粒が立っている、炊きたてのご飯」。
定休日にはこれを堪能するべく努めているらしい。

この慢性的とも言える、炊きたてご飯欠乏症が一因でもあるのか、あと4年後には、カレー屋を閉めてしまうと宣言しているようなので、これが出版される頃には、私の実家はカレー屋ではないかもしれない。

ひそかにファンも多いようだ。
もし店を閉めたら、残念に思うのだが、いちばん残念に思うのは、ひょっとしたら私かもしれない。

子供の頃から、カレーが大好きだった。
しかも、私の母は、早くから市販のカレールーを使わないカレーに目覚めてしまっていたのだ。
「星の王子様カレー」なんぞは、食卓にのぼったことはなかった(もっとも、わたしが子供の頃はそんなもんはなかったが)。
カレーは私にとって、おふくろの味なのである。
そして、母のカレーは辛かった。

辛みは、カレーの必須アイテムである、と思う。
それが、画一的なものでなく、キビシイ辛さだったり、やさしい辛さだったり、スパイシーな辛さだったり、辛さにもいろいろあるということを実感したのは、去年インドを旅行したときだった。

8日間のツアーで、ほとんどの食事はカレー。
しかも、毎日、3種類以上のカレーが出てくる。
はじめの頃は、おいしさと好奇心で、わくわくしながら食べたものの、3日目を過ぎると、さすがに飽きてくる。
朝食だけが、かつての植民地時代のなごりでもあるのか、イングリッシュブレイクファスト。
ひさびさに味わう辛くない味つけに、舌のほうも一息つくようだった。
しかし、ツアーも終り頃になってくると、あら不思議、私は日本に帰ってカレー無しで生活できるかしら、という不安にかられるほど、インドのカレーにとりつかれてしまったのである。

もっとも、たった8日間のツアーで、インドの食事を語ることはできないし、だいたいインドにカレーなどというメニューはないのだから、大きなことは言えないが、それはそれ。
とにかく、この旅行が、私の辛い物好きにますます火をつけてしまったことは間違いないだろう。

私もカレーはつくる。
たまにつくる。

だが、そこは一人暮しの悲しさ。
一度つくったが最後、3日間は食べ続けなければならない。

そもそも、インドでのカレーは、同じようでいて、店によってまったく違う味わいがあった。
毎日同じ店の、同じカレーを食べていたら、どんなにおいしくても飽きてしまうだろう。

カレーは、おそらくラーメンに並ぶほど、中毒性が高いメニューである。
突如として、「カレーが食べたい!」と思い立つと、居ても立ってもたまらない。
そこでスーパーに飛び込み、レトルトカレーを一つ買うことにしよう。

耐熱皿にご飯をしき、その上からこれをかける。
私は辛いのが好きなので、レトルトカレーの辛さではもの足りない。
チリペッパーを「これでもか」とふりかける。
スプーンで、軽く全体を混ぜる。
この上から、とけるチーズをのせるわけだが、私はチーズに関してはケチケチしないことにしているのだ。
パルメザンを固まりで買い置いてあるので、これをおろしてかけることにしよう。

あとはオーブンで焼くだけだ。
もちろん、例の冷凍ご飯にはもってこい。
100円で買ったレトルトカレーも、おいしく食べられ、一石二鳥というわけ。

実はこのメニュー、実家の近所の喫茶店にあったもの。
ところが、父が近くでカレー屋をオープンしたせいか、先日帰省したらその喫茶店は閉店していた。
ゴメンナサイ。



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