貧すれど鈍せず
食事を出す側のマナー
ネコを飼うことになった。
以前から、ネコを飼うことが、私の夢のひとつだった。 結婚するのが理想形だとする。 それが叶わなければ、同棲もいい。 それもダメなら、家に呼べるくらいの男性とお付き合いしたい。 しかし、夢未だ叶わず。 時々、妙な寂しさに襲われる。 一人暮らしとは、そういうものだ。
30歳を過ぎて、その寂しさに慣れてくるにつれ、ある思いが心に浮かんでくる。
「ひょっとして、一生結婚しないで終るのではないか」 という思いである。
それに流されず、寂しさにも慣れず、耐え抜いた果てに結婚、という例が・・・残念ながら思い当たらないというのも不安でもある。 結局、縁なんてものは、自分の力以外のものなのだから、ここいらでひとつ、夢をかなえてしまおう。
男性関係の話は、なかなかうまく進まないが、今回はそう思ったとたんに、子猫の貰い手を探しているとの話が舞い込んできた。 かくして、ネコをもらいに益子まで出かけることになった。
益子といえば焼き物の街である。 ついでに益子焼の作家とも、会える手筈もととのえつつ、一泊の小旅行である。
ネコは、すこぶるつきの可愛さ。 偶然にも、私と同じ「モトちゃん」と名前がついていて、いっぺんで気に入った次第。
さて、お見合いも終って、ペンションに着いた。 山に囲まれたログハウス風の、落ち着いた佇まいである。 リビングも広々として、部屋も清潔。 これで2食付いて9千円なら文句はない。 ペンションには失望した過去の経験も多少ならずあったが、ここは安心と食堂に向かった。
ペンションのオヤジは、私達が予定より30分遅れて着いたことで、すでに不満げだ。 風貌からも、自分の美学を追求するタイプだということは、一目でわかった。 さて、そこからが特筆すべき事態の始まり。
オヤジはまず、「ようこそいらっしゃいました」と口を開くや否や、「本日のお食事はこれこれでございます」「こちらはこれこれの野菜をどうこうしたもので」「醤油はどこどこの何年物を取り寄せまして」果ては、「健康の為にはこういったものを食べなくてはダメ」だの、「誰それが東京から毎年来ている」だの、延々とオヤジの講釈を聞きながらの食事と相成ったワケである。
こちらが、内輪の話をしている最中にも、何の脈絡もなく話に割って入る。 私達はすでにうんざりしてきた。 はやくこの食事を終らせて、部屋に戻ってゆっくりしたい。 みんなも暗黙の了解で、黙々と箸をすすめる。 そこへ大皿を持ってオヤジが各テーブルを廻り始めた。 見事な牛肉だ。
「どこどこの肉で、云々・・・」オヤジは中央に設置された鉄板でそれを焼き始めたのである。
先程のオヤジの講釈によると、肉を食べると寿命が縮むそうだ。 脱サラ後、この地に身を置いた時から、オヤジはたいそう食事に気を付けているらしい。 どうやらこのオヤジは、自分の寿命は延ばしたいが、客の寿命については頓着しないらしい。
私は普段から、あまり外食をしないが、たまに友達とレストランに行くこともある。 よいレストランに行くと、「たまの外食も気持ちがいいなあ」と思う。 こじんまりとしたところでも、気の効いたサービスに感心することもある。 「ありがとうございました」という一言も、心がこもっているのといないのとでは、全く別の言葉として聞こえてしまうものだ。
楽しい食事をしてもらう為には、講釈などは不必要なもの。 そこには、旨いものがあれば、それでよい。
私の理想のレストランは、くつろげるインテリアと、気負わないメニューが揃っていて、さりげないサーヴの末、どうしても作り方を聞いてみたくなる味、しかも訊ねると惜しげもなく手の内を明かしてくれる、そんなアト・ホームなところ。 残念ながら、そんなレストランは少ない。 もしそんなレストランがたくさんあったとしたら、確実に私はナマケモノになるだろう。
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