貧すれど鈍せず
ゴボウの天ぷら
今日の買い物は、ほうれん草(98円)、ゴボウ(98円)、豆腐(110円)。 近所の酒屋には、安い野菜なども売っていて、とても助かる。 もちろんビールも買う。
ゴボウは最近の常備野菜だ。 去年の日照不足のせいで、野菜の高値が続く中、ゴボウは2本で98円。 おまけに少々台所の隅にころがしておいても痛まない。 私の家の冷蔵庫は、一人暮しを始めたときに唯一購入したもので、小ささもさることながら、野菜などはすぐダメになってしまう。 葉物など入れておくと、「早く食べ切らなくては」と、おちおち他の食品に手が出せない。
今日はゴボウで天ぷらをつくる。 揚げ物は、忙しい日など、今度いつ食事にありつけるかわからない時には最適だ。 おなかの持ちもいいし、手順さえ覚えれば、意外と短時間でつくれる。 揚げ物がめんどうという世の主婦たちは、あの、揚げ物がカラッと揚がったときのよろこびを知らないのだ。
たしかに、洗うものはたくさんある気がする。 ゴボウの場合は、アク抜きの際の水のボウル、粉をとくボウル、大根をおろすなら大根おろし、油をはった鍋、油をきるときの皿、天カスをとるときの網杓子、おっとショウガもおろさなくては。
だが、そんなものは、用がすんだ順に洗ってしまえばいいのだ。 私は、調理がおわったときに、すべての洗いものが済んでしまっていなくては気が済まない。 「きちんとした性格なのね、私には出来そうもないから、もう読むのはよそう」とお考えの方もいらっしゃるかと思うが、事実はちょっと違う。
その原因は、台所のスペースにあるのだ。 私のアパート(築30年)の台所は、最近のコマーシャルに出てくる、「主婦のことを考えてつくりました」というような親切なものではない。 まな板でさえ、チーズボードのような小さなものしか置けないのだ。 できあがったものを盛ったお皿ですら、置くスペースはない。
以前、つきあっていた彼を食事に呼んだとき、私はつくったものを一度に出して、料理好きをアピールしたかったのだが、こまごまとしたたくさんのお皿を置く場所がなく、台所の床と、隣接しているお風呂場のマットの上に置いていたこともある。
それに、実際つくってみるとわかるのだが、結構省略できるものもある。
まず、ゴボウだが、私は皮を包丁の背でこそぎ取る、などはしない。 泥つきゴボウだって、たわしでちょっとこすれば、けっこうきれいになる。 それに、そのほうがゴボウの香りが残るのだ。 天ぷらの場合、私は水にさらすこともしない。 できるだけ斜めに、1cmほどの厚さに切ったら、これを市販のソバツユの素でさっと煮る。 これは揚げる時間を短縮するのと、後でつける天つゆに、ゴボウの香りを移すためだ。 時間はせいぜい2〜3分。 ゴボウは引き上げておく。 ついでに油のナベにも点火しておこう。
さて、天ぷらのコロモだが、小麦粉はふるい入れるとか、氷水で溶くとか、混ぜすぎないようにだとか、材料も冷蔵庫に入れたほうがいいとか、いろいろ流儀があるようだ。 なかには、粉の混ぜ方にもこだわって、カミガカリ的なやり方もあるらしい。
私はというと、N社の小麦粉とか、S社の「カラッと揚がる天ぷら粉」とか、ひととおり試した結果、行きついた結論は、「上新粉」であった。
これなら、とき卵にジャーと水道水をいれ、泡立て器ででもよく混ぜるだけでよい。
さて、そうこうしているうちに、油が温まっているだろう。 コロモを少し落とし、温度を確認したら、先程のゴボウをコロモにくぐらせ、揚げてゆくがよい。 このとき、木べらに、ひとかたまりずつゴボウを乗せながら油に落とすとよいだろう。
あとあと、おそらくひんぱんに出てくるだろうが、木べらというものは、じつに役に立つ調理器具である。 なまじ日本人は器用で、なにもかも菜箸を使うよう、習慣づけられているが、これは一本あると、炒め物にもべんりなので、ひとつ購入する事をおすすめする。
天ぷらは、せいぜい裏表をかえすのは一回くらいでいいだろう、ひとたび油のなかへ落としたら、あとはヒマになってしまう。 ビールを飲み始めるのもいいだろうが、この間に用済みの食器類を洗ってしまおう。 先のソバツユは器にうつせば、ゴボウを煮たナベも洗える。 コロモを溶いたボウルも、まな板も包丁も、用は済んだ。
この天ぷらは、大根やしょうがよりも、山椒の粉をふりかけた方が、ゴボウの香りが引き立つような気がする。 その際は是非、京都で売っている、緑色の山椒を使って欲しい。 一袋300円程で、「そこらには売っていないものを使っている」というぜいたくな気分を味わえるのだから、上洛の折には友達にも買ってあげよう。 感謝されること間違いなしである。
ちなみに、この上新粉の生地は、残れば冷蔵庫で2〜3日は保存できる。
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