台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。シャンソン歌手「藤原素子」が綴る、日々の、普通の食卓のレシピ

貧すれど鈍せず

味覚について

思うに、人間の味覚は、如何にして形成されるのであろうか。

誰にでも、好き嫌いはあるだろう。
その「好き嫌い」は、生まれ持ってくるものか、それとも、成長の段階で育まれるものなのだろうか。

私にも、苦手なものがある。
早春から初夏にかけて、八百屋の店先に並ぶもの。
長い冬の終わりを告げ、新しい季節の訪れを予感させる、しみじみと味わい深い、あの食材。

そう、私はタケノコが苦手なのである。

これは、「嫌い」というよりも、「苦手」というべきであろう。
タケノコの味も触感も、大好き。
駅弁に入っているくらいの、一切れ、といった単位なら喜んで食べる。

しかし、タケノコ一本買ってきて、ていねいに灰汁抜きをしたにもかかわらず、若竹煮など、小鉢で食べても、確実に気持ちが悪くなってしまうのだ。

この現象を、アレルギーというのだろう。

もっとも、それに気がついたのは、ここ5、6年前のこと。
それまでの私は、「この世の中で、嫌いなものはない!」と、豪語していたほどの、世間知らずであった。

付き合い始めた男と食事をして、「俺、これ、食べられないんだ。
」と言われると、「あなた、世界中には、飢えた子供がたくさんいるのよ。
そんなことを言っているあなたは、どうしようもない子供だわ。
」と、延々説教をして別れた。

現に、私はそれまで口にしたもので、嫌いな物はひとつとしてなかった。
もしかして、本当に、おいしいものとまずいものを舌が感じるようになったのは、30歳近くになってからのことではないだろうか。

こう思い直してみると、その年齢は、外食をしなくなった年とも言える。

それまでの私は、芝居とバイトに明け暮れ、家でキチンと食事をする習慣などなかった。
自炊しても、日に一回以下。
冷蔵庫には、トマトジューズしか入っていなかった。

それに比べて、今では、他人の作ったものを食べることは、さあ、せいぜい月に一回くらいだろうか。
それくらい、外食の機会が少ないと、たまに食べる外食に含まれている化学調味料に、びっくりするくらい敏感になってくるものだ。

たとえば、ファストフードに代表される、ハンバーガー。
パテが問題なのか、食後すぐに連発するゲップ。

冷凍食品にしても、たまにコマーシャルにつられて、買って焼いてみると、食後、「やな感じ」に2〜3時間は悩まされてしまう。

昨今、問題になっているダイオキシンが、味わえればいいと思うのだが、化学合成物質くらいは、せめて意識して摂取できれば、と思う。

昼間のテレビを見ると、食材について、あれがいい、それがいいと、何かと情報をタレ流しているが、なによりも、無節操に外食をしないよう、呼びかけるのが先のような気がする。
体に有効な食材を調理するときに、化学合成物質を使ったとしたら、なんにもならないからだ。

とはいえ、私のように、一日のほとんどを自宅ですごすという人は、少ないだろうし、やむなく外食をするしか選択の余地がない人も、多いだろうと思う。

それでも、現代を行き抜いていく方法は、残されている。

要するに、化学合成物質を味わい分けられる「味覚」を持っていればいいのだ。

変な添加物を大量に使っている店には、二度と行かないだろうし、きちんとした調理をしている中華料理店も、かぎわけられる。

やむなく外食を強いられているオトーサンも、なるべくなら、食材のわかるものを摂取すべきである。

なになに? 外食よりも、家のカミサンの作ったものに含まれている添加物のほうが心配だって?
味覚は、家柄を象徴するもの、そんなカミサンをかぎわけられる「味覚」を、持っていなかっただけのハナシ、なのである。



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