貧すれど鈍せず
マーボー豆腐
さて、昨日買ってきた豆腐があるだろう。 昨日はゴボウのみで、いささか精進にすぎた。 今日はひさびさに肉体労働をする日なので(こう見えても私は歌手として、銀座のバーで週に二日、歌っているのだ)、なにか元気になるものが食べたい気がする。
とはいっても、週末のギャラ日まで、あと三日、生き抜かなくてはならない。
冷蔵庫を開けると、一週間前につくったミートソースがある。 のちにレパートリーとして、何度もでてくると思うが、私は無類のメンクイである。
友達にいわせると、私の過去の男はいずれも、「外見よりも中身で勝負」タイプの男である。 私くらいのイイ女になると、自然とそうなってしまうのだ。 チャラチャラした男は、おそれおおくて近寄りもしないらしい。
だが、ひとたび自宅に戻ると、私の台所にはうどん、そば、スパゲティその他のパスタ類が、常に鎮座している。 気が付くと、何週間も米を口にしていないこともあるほど、私は麺食いなのである。
よって、ソバツユや、チューブ入りワサビ、しょうが(これは生)などは、常に買い置きがある。 たまにデパートで九条ねぎを買って帰ると、きざんで冷凍しておく。 いつ、財布の中身に、百円玉もない状態に陥るかわからないからだ。 よく、茹でた麺を、パックにして売っているが、私はこれは買わない。 味もさることながら、乾麺は貧乏になったときの非常食として、大変役に立つからである。
この延長上として、トマト缶とニンニクと玉ねぎは、パスタのソース作りのために常に買い置いてある、と言いたいところだが、さて、いま冷蔵庫にあるのはというと、はたしてH社のクックドゥで作ったミートソースなのであった。
一週間前、私は正月を故郷の倉敷でゆっくりと過ごして、東京に戻った。 帰路、京都の友達とバンガローで過ごしつつ、焚き火を囲んで、飲みたおした後の我が家だったのである。 当然財布の中身は小銭ばかりである。 友人を大事に思う私の人生には、よくあることだ。
冷蔵庫には何もない。 例の近所の酒屋で、H社のクックドゥとひき肉を買い込み、箱に書いてある「おいしい作り方」をながめつつ、おいしく作り上げたものが、今まさに冷蔵庫に残っているのだ。
さて、この「おいしい作り方」に不手際はなかった。 実際、パスタと和えると、「おいしい!」と叫ぶほどではないが、そこそこ食べられたものだ。 だがこの製品は、どうやら子供が何人かいる家族を対象に開発されたものらしく、いちどに出来上がる量は4〜5人分。 インスタント食品を食べたあとに、オマケのようについてくる「げっぷ」も、例にもれず2、3度出た。 ましてや味の濃いミートソースだ。 2日も食べれば、飽きてくる。 男女の関係と同じように、インスタントに手にしたものは、飽きるのも早いのだ。
今日はこのミートソースで、マーボー豆腐を作ってみようと思い立った。 用意するものは、ごま油、ニンニク、しょうが、豆板醤、中華スープの素、オイスターソース。 いずれも台所に常備しておいて損はないものだ。 これさえあれば、たいていの中華の味付けに困ることはないだろう。 日持ちのするものばかりだと気が付かれた方は、21世紀をたくましく生き抜くことができる。
ニンニクとしょうがをミジンに切る間、昨日買ってきた豆腐は、クッキングペーパーで包んで重しをしておく。 料理本によっては、30〜40分放置しておく、とあるが、みずみずしい豆腐の感触を楽しむなら、あまり長く置いておく必要はないのだ。
あとはこれを順番に炒めていけばよい。 途中少量の水を加えつつ、ミートソースも放り込んでしまおう。 つづいて菱形に切った豆腐。 むろんサイコロでもよいが、OL時代に通いつめた中華料理屋のマーボー豆腐は、菱形であった。 この中華屋は、べらぼうに安くて量も満足するほどだったが、私が退社したあと地上げでなくなってしまったらしい。
豆腐があたたまれば、出来上がり。 仕上げに水溶き片栗粉を流し入れよう。 もしあれば、長ねぎのミジンを加えればよいのだが、なに、なくても立派なマーボー豆腐である。 イタリア料理が、中華料理に変貌した瞬間を楽しみつつ、残りごはんにかけてみてもいいだろう。
ただし、私はインスタントのミートソースでしか、この方法を試したことはない。 わたしが作るパスタソースは、おいしくて残らないからである。 このソースのつくりかたは、いつか紹介するつもりだ。
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