台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。シャンソン歌手「藤原素子」が綴る、日々の、普通の食卓のレシピ

貧すれど鈍せず

昆布の佃煮

インスタントなものはなるべく使いたくないと思っている。特にドレッシングとか何々の素とかの類は買うことがない。結局途中で飽きて使い切れないからだ。

第一、 この手の「何々の素」には、理解に苦しむ商品が多すぎる。
胡麻和えの素、ムニエルの素、まぐろヅケの素、煮魚の素、すき焼きの素、鍋の素、おひたしの素まであって思わず笑ってしまう。

たいした手間でもないものを商品にするのも大変なご苦労だと思うが、お仕着せの味で育てられた子供の味覚はどうなってしまうのか、心配になってしまう。

ところが、である。
こんな私も使い続けているものがある。そう、ダシの素だ。

料理の本でもダシをとりましょうと書いてある。
昆布は鍋の水に浸しておき、火にかける。沸騰直前に取り出して次は鰹節をひとつかみ。火を消して鰹節が沈んだらダシの完成。
たいした手間でもなく、まったく手順もわかってはいるのだが、何故か今までダシをとる気になったことがなかった。

これはズバリ、経済の問題につきる。
昆布など手が出ない時代が続いた。かつおぶしは毎朝ひとつかみずつ使えば積もり積もって結構な出費だ。
それならば、ダシの素を使ってでも他の食材を買いたかった。

月日は流れた今でもこの考えは続いており、ダシの素を使い続けている。結局経済の問題はたいして状況は変わっていないわけだが、昆布はたまに頂いたりもする。冬は安ければ鍋用に買ったりもする。
これがたまってくると、昆布の佃煮をつくる。

昆布は適当に切っておく。きくらげは戻して細く切る。これらを一晩水に浸してから調味料を入れて火にかける。調味料は醤油とみりんと酒。
水分がなくなるくらいまで弱火にかければ完成だが、昆布や調味料の加減で出来上がりは様々だ。

しっかりと味がついた佃煮になる時もあれば、薄味であっさり食べられる味になるときもある。
昆布によって歯ごたえも違う。山椒の実やしその実を一緒に炊くのもいい。

この昆布とご飯があればしあわせなファストフードになる。
本当においしい佃煮ができる感動もあるが、昆布を炊く台所の風景も好きだ。まっとうな人間になったような気がする。

レストランならともかく、いつも同じ味じゃないところが家庭料理の醍醐味だと思う。
味見をしながら体調に合った味にしていくのは楽しいものだ。市販の画一的な商品に、この楽しみを奪われるのは、なんとも悔しいことである。

2006.8.26



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