台所に立つことの動機は、やはり「お腹がすいた」、「おいしいものが食べたい」、それで十分なのだ。シャンソン歌手「藤原素子」が綴る、日々の、普通の食卓のレシピ

貧すれど鈍せず

ご飯問題

先に、私はメンクイだと書いた。

麺食いも本当だが、実は私はこの半年ほど、ご飯を炊いていない。

炊飯器は持っている。
もっとも、それも以前に付き合っていた彼から奪い取ったもので、それ以前は炊飯器もなかった。
たまにご飯が食べたくなったら、スーパーで炊きあがったご飯を買ってきてチンして食べていたのだ。

子供の頃から、両親が晩酌をしていた性もあり、オカズを食べるときはご飯がないとダメ、という環境にも育たなかった。
ご飯は、オカズを食べてしまってから、最後のシメとして食べる物だった。

日本人にあるまじきことと、あるいは農協あたりから文句を言われるかもしれない。
しかし以前には、さる男性と、2日に一度は一緒に食事をしていたし、その時代には、米も買って炊いていた。

そんな時代が過ぎ去ってしまったことも原因であるが、ご飯を炊かなくていい理由がもう一つある。

私の実家は、カレー専門店なのである。
父が定年退職後、ほとんど趣味のようにほそぼそと営業しているのだ。
趣味のようにやっているから、ケチった商売はしていない。
それこそ採算を度外視したカレーを出している。
地元では、知る人ぞ知る、おいしい部類のカレー屋なのだ。

ところが、このカレー屋の営業にあたって、父が悩んでいることがひとつある。
ご飯が残ってしまうことだ。

毎日、お客の数を予想して、ご飯を炊く。
カレー屋でご飯がなかったら大変だ。
ご飯が少なくなってしまったとき、お客が入って来ようものなら、厨房は瞬時にして大パニックになってしまう。
そこで、いつも多めにご飯を炊いておくことにしているようだ。

ところが、そこはニッポン人。
米を捨てることには、他の食品関係を捨てるのとは、わけが違うらしい。
夕食に食べても、残ってしまったときは、冷凍庫行きとなる。
かくして、我が家の冷凍庫は、ラップに包まれたご飯に占領されることとなる。

残っても、足りなくても困ってしまうご飯問題は、毎日のように父を悩ませ続けているのである。

この冷凍ご飯。
私はこれを、はるばる宅配便で送ってもらっているのだ。

仕事の関係上、私と母とは、月に何度も荷物のやりとりをしている。
その荷物の中に、時には果物だったり、時にはお醤油だったりの品々が同封されてくるのだが、これがまた、不思議なくらいにタイムリー。
買わなくっちゃ、と思っているときに、まさにそのものが入っていたりすると、ひょっとして、母がどこかで覗いているのではないかと、キョロキョロしてしまったりする。

荷物が冷凍便のときは、ご飯が同封されているときだ。
いよいよ明日はお米を買おう、と思っているときに届く。

このご飯のほとんどを、以前はチャーハンにして食べていた。
冷蔵庫の整理をするにも、時間がない時にも、チャーハンは便利なメニューである。
ところが、塩コショー、醤油、ケチャップ、ソース、キムチ、にんにくからナンプラーまで、いろいろと試してみてはいるが、そうそうチャーハンばかり食べてはいられない。

そこで、冷凍ご飯活用メニューを、様々にひねり出しているワケで、私のメニューの多くは、冷凍ご飯にのせて食べるのが正しい食べ方なのである。



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