不定期更新!?藤原素子の日記帳です。

日々の出来事 〜Diary〜

#769 毒を吐きます
2012年12月30日(日)01時17分
更新をずいぶん怠った。それについてそろそろ叱咤する人もいなくなった。
シメシメ。やっと自分の書きたいことが書けるのだ。誰かが読んでるなんて思いながら書くなんてつまらない。ましてや、ナントカトークやツブヤキで、友達やなんかとつながってなんかいたくない。人間は、誰とでも見境なくつながる犬畜生じゃないんだ。

さて、父に勧められて、南木桂士を読んでいる。医師であり作家である小説家だが、とりわけエッセイが良い。パニック障害と鬱病の体験、生まれ育った経緯や、郷里群馬のこと、居住する信州の自然のことなど、てらいのない文章に心が癒される。著者の実直な性格が伝わってくる。また、折々に出てくる作家のことごとくが、私が読んで好きな作家であったりするのにも、少なからず悦びを感じたりする。
一方で、母がオススメだという須賀敦子も何冊か読んだが、巧みな構成力に引き込まれてこちらも一気に読み進んでしまった。まるで映画を見ているように、文章から映像が広がっていく。これもまた、読書の快感というものなのだろう。
そういえば、本を読んで癒されるなんてことは、今までは意識したことも、求めたこともなかった。認めざるを得ないが、これが歳をとるということなのだろう。

その南木桂士だが、鬱病に苦しんでいた時、ともすれば自殺をしかねない自分を踏み止まる為に、文章を書いたという。
「書く」というものはそうあるべきなのだ。
書かざるを得ないから書く。壊れてしまいそうな自分を、なんとか留める為に、生きるアカシを綴る。この聡明な作家と、私などが共感するのは甚だ失礼だと承知であるが、極限での命のともし火が、書くことであった体験は、私にもある。読者のターゲットを想定したり、発行部数を考えたり、「いいね!」のクリック数を数えたりしながら発信するものは、所詮はタレ流しのCMと一緒だ。
誰も彼もがまったく安直に、自分というものを世の中に発信できる時代になった。それが人間にとって正しい方向なのか、どうしても賛同出来ない自分がいる。


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