不定期更新!?藤原素子の日記帳です。

日々の出来事 〜Diary〜

#546 ラオス旅行記
2011年02月01日(火)04時01分
ビェンチャンも変わった。
6年前、初めて訪れた時はなかった銀行のビルが立ち並び、やはり街全体が、首都の発展の様相を見せつけるのである。
マーケットには、携帯電話と自動洗濯機。その建物も、大型ショッピングセンターが建設中。その間を、ホワイトカラーの男性とヒールの女性が足早に通っていく。
かつて、夕日を眺めながらビールを飲んだ川沿いの屋台レストランも、跡形もなく取り壊されて、今やメコンもコンクリートの河川敷だ。きれいな公園も作られて、いっぱし観光客と市民の憩いの場にしようとの意気込みは感じられるものの、あまりの変貌ぶりに、私たちの意気は揚がらないのである。
それでも、陽が落ちて夜になるにつれ、あちこちから、バインミーだの、焼き鳥だの、布キレやガラクタの類、海老や魚、野菜を並べた屋台、その折りたたみのテーブルや、銭湯にあるようなプラスチック製のイスが道端に並び始めて、やっとひと心地ついたものである。

さて、今回の目的の一つであるバンビエン。中国の桂林に似た景勝地で、自然があふれた天国として口コミで広まったらしいが、訪れてみると、見かけるのはほとんどが西洋人。皆カフェやレストランで寝転がりながら、ビールを飲みながらボーっとテレビを見たりしている。
かつてバッグパッカー達が沈没した地であることで有名で、ハッパ関係のアヤシイ情報がいっぱい。今やドラッガーの天国というところか。
山々の景色は美しかったが、ピザやパスタのレストランからは、大音響の音楽とネオンが夜中うるさい。ベトナム戦争映画の、アメリカ兵の休日のシーンを彷彿とさせる。
この町も、かつては本当にいいところだったんだろうが、雄大な景色が素晴らしかっただけに、どうにも哀しくなってしまった。

それにしても、ビェンチャンからバンビエンへのバスの道のりはちょっと良かった。
バスの席が、ちょうど私たちの分だけがオーバーブッキングだったようで、運転席の隣の助手席に座ることとなった。ジャンケンで負けた友人2人は、例のプラスチックの風呂イスに腰掛けさせられて4時間。足を延ばせられて案外にリラックスできたとのことだが、私は前方に村々の様子を手にとるように眺められて、厭きることを知らなかった。

そも、文明とはこんな起源なのかもしれない。
道が出来るだろう。そこに、住めるだけのバラックを建て、周辺でとれたもの、米ができれば米、野菜ができれば野菜を、並べて売る。飲料水だの、ガソリンだの、日用品だのを運んで売る。道を通る人が増え、やがて集落が出来、村となり町となる。

そしてまた一方では、住めるだけのバラックである。建て替えることもなく、朝が来れば起き、夕べに寝る。犬を飼い、牛を飼う。洗濯物を吊るし、子供が裸で遊ぶ。これが永劫続くのではないかと、そんな車窓の錯覚を信じたくなったりもするバスの旅であった。

バスといえば、今回の旅行で、どれだけ乗り物に乗ったか・・・。
台北経由でタイへ。バンコクから北バスターミナルへはタクシー。夜行バスで10時間、その後、インターナショナルバスに乗り換えて友好の橋を渡って、ラオスへ入国。ビェンチャンでの移動は毎度のトゥクトゥクだ。
バンビエンへのバス往復8時間。乗り換えてのミニバス。
帰路はウドンタニへのインターナショナルバスで2時間。ウドンタニから空路バンコクへ・・・。他はもう、書き切れません。
成田から自宅への2時間は、ホント、楽々でした〜。


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