日々の出来事 〜Diary〜
#397 タイ旅行記1 2009年02月17日(火)13時30分
タイへ行ってきた。 6日の日程がとれたのは偶然だったが、年明け以来、先行き不安なウツウツとした生活を送ってきたので、ここいらで気分転換もいいかと成田を発つ。 バンコクは近代化が進んでいて、我々チームアジアの趣味に合わなくなってきた感がある。とにかく1泊だけして、早朝ノイ駅へタクシーで向かう。時間は5:30。それ以降になると、渋滞でどうしようもなくなる。 かねてから行きたいと思っていたカンチャナブリ。 『戦場にかける橋』で有名だが、恥ずかしながらさほど知識があるワケではなかった。実際、観光案内書にはカンチャナブリなど数ページが記載されているのみで、インターネット情報が有難い。 にわか知識で恐縮だが、第二次大戦中、タイとミャンマー(当時はビルマ)間の物資輸送ルートを確保するため、日本軍が作った鉄道で、415kmを17ヶ月で完成させたという。同行の友人が、「単純計算して、およそ1日1kmだよ」と言うので驚く。何十万人もの犠牲者を出した、日本人にはイタイ場所である。 ノイ駅から列車に乗り込み、終点のナムトクまで。時刻表には5時間ほどだったが、実際には7時間かかった。途中のカンチャナブリ近辺では観光客が多く乗り降りするものの、地元の人も利用している様子。ノイ駅で声を掛けてきたオジサンが、乗り込む時の案内をしてくれた。 このオジサン、列車を待っている間いろいろな話をしているうちに、市場で焼き鳥とカオニャオ(もち米飯)を人数分買ってくれたり、列車内の売り子から茹でピーナツを買ってくれたり、なにかと親切にしてくれる。こうなると次第に、「何か目的があるのでは?」と疑い始めてくる我々だったが、ある駅に着くと、挨拶してあっさりと降りて行った。 工事が難航したクワイ川鉄橋やアルヒル桟道橋を通過する。さぞかし感慨深いものがあると思いきや、乗客はみな窓から身を乗り出し、断崖や鉄橋の写真を撮る。西洋人の観光客が多く、ちょっとしたアミューズメントスポットといった雰囲気。 泰緬鉄道に限らず、カンチャナブリの街でもほとんど日本人には会わなかった。 「負の遺産」を訪れるといった雰囲気は、拍子抜けするくらいに旅中もまったく感じられなかったが、帰国してみると、それがかえってオソロしく思われる。
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